日記

父ちゃんが守ってくれた昨日のトレードと今日のノートレ

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父ちゃんが守ってくれた昨日のトレードと今日のノートレ

いやね、実は昨日は親父の命日だったんですよ。
私も今朝の母からのメールで、今日は命日だからよろしくって届いたんですね。
それで、ああそうか、そうだったんだな、って鳥肌が立ったんです。

というのも、昨日のトレード。紙一重で強制ロスカットになるところでしたよね。
でも間一髪で上昇してきて私は命拾いしたわけです。

で、何が鳥肌だったかと言うと、その上昇してきた時間なんです。
親父が死んだのは17日の2時47分だったかな確か。それぐらいなんですよ。
で、相場が上がり出しのが夜中からですよね。0時、1時、そして2時、3時前に私は利食いしているわけです。

父ちゃんが(私は父の事を昔から父ちゃんと呼んでます)危なくなったのがまさにその時間だったんです。
忘れもしませんねあれは。ちょうど3年ですからね。

実家が遠いので3月、5月と父ちゃんが入院している病院へ東京から通っていたのです。
片道500キロはありますからね。妻とまだ子供はいませんでしたが猫がいるので移動は面倒なんです。

仕事も多忙だったし抜けられない用事もある中でなんとか時間を作って何度か帰省していました。
そんな中での6月を迎えたわけです。

6月に入ると父ちゃんの具合はますます悪くなっていきました。
つきっきりで看病していた母も毎日病院に泊まっていたので疲れ果てていました。
精神的にもやられていましたね。

そして6月初旬からいよいよヤバイということでまた何度も電話があったのです。
仕事を片付けて帰省するとそこには5月の父ちゃんはいなくて、かなり弱った父ちゃんがいました。
ああ、これで本当に最後なんだなと思ったものです。

でも危ないとは言ってもいつ死ぬかは誰にもわかりませんからね。
私も仕事があるので帰らなければいけません。いつまでも実家にいるわけにもいかないのです。
そんな中で1日1日と過ぎていったのです。

そして6月16日になっていよいよ起きれなくなって話しもできなくなりました。
朝から呼吸が荒くなって肩で息をするようになっていたのです。
もってもあと3日、そんな事を言われた記憶もありますが、どうなるかはわかりません。

そして見舞いを終えての16日の夜。一眠りしてからまた朝になったら見舞いに行こうと思って電気を消したのが0時過ぎ頃だったと思います。

消してすぐに病院に泊まっている母から電話がありました。
危篤に入ったから家族を呼んでくれと看護師に言われた、と。

すぐに準備をして病院へ向かいました。姉も嫁ぎ先の遠方から帰省していましたので、姉を連れて行きました。
姉の子供が二人いるのですが、眠っていたので妻にみてもらう事にしたのです。

そして病院へつくと、父ちゃんの呼吸はますます荒くなっていました。
本当にもう最後だなと思いました。

そして私たちが着いて、母と姉と私と。3人で父に感謝の思いを伝えたのです。
肩でゼーゼーと苦しそうに呼吸する父に届いたかはわかりませんが、きっと届いたのだと思います。

母も姉も、お父さん今まで本当にありがとう。ありがとうと何度も何度も声に出して伝えていました。
そしてそれからしばらくした2時半頃になって、父の呼吸がどんどんゆっくりになっていきました。
まるで私たちの声が聞こえたかのように、どんどん呼吸が楽になっていったのです。

そしてゆっくり、ゆっくりと呼吸がゆっくりになっていって、そのまま本当にゆっくり眠るように呼吸が止まっていきました。
人間の死というものをはじめて見た瞬間でした。

今これを書いている事で3年前の事を思い出してしまいました。涙が出ますね。
中学生からはじまった私の反抗期、高校生の終わり頃まではほとんど会話する事もありませんでした。

私はバイクに車に女と、中学生の頃から怒られることは全部してきましたので、父が好きではなかったのかもしれません。

でも父には小さい頃からよく可愛がってもらいました。
スキーや釣りや温泉や山など小さい頃は色んなところへ連れて行ってくれたのです。
私が上京して家族と離れる事で父のその頃の思いが強くなっていきました。

まるで反抗期の頃の事などお互いが忘れてしまったかのように、20代の頃からは実家に帰れば父と話をして楽しい時間を過ごす事が多くなったのです。
まるで小さい頃に戻ったかのように。

そんな大好きだった父がどんどん弱っていくのを見ながら、そして命が終わるところを見ているのは本当に辛いものがありました。
もっと親孝行できたらよかったな、もっと成功した姿を見せてあげればよかったななんて思ったものです。

でも親はそんな姿を求めているわけではないということは、子供ができて思いますね。
子供が成功しようが何しようがどうでもいいです。
人の道からそれずにしっかり頑張って、近くにいてくれるだけでそれでいいのです。

そんな父の命日。昨日のトレードはまさに父が守ってくれたのだと思いました。
まだこんなところで資金をなくしてる場合じゃねーぞ、頑張れよと。

だって、ほんとこんなことってありえますかね?
父が危篤になった時間からまさかの急騰ですからね。
そして父が亡くなった時間に利食いをしているという奇跡。。。もう鳥肌以外のなにものでもありませんでした。

父ちゃんが守ってくれたんだなと母のメールで確信しました。
父ちゃん本当にありがとう。まだまだこれから頑張るよ。

来月引っ越す事は前にも書きましたが、実は実家に帰る事にしたのです。
東京での生活は18歳からですからもう15年以上になります。もうじき20年ですね。
まあ隠す必要もありませんので書きますが実家は新潟です。

18年間新潟で暮らしたわけですが、それ以上の歳月を東京で過ごしてきたわけです。
でも今になってどうして帰るのか?

やはり父の影響が大きいですね。
そしてなにより、仕事の問題も最大に大きいです。
私の事業もネットがあればできる仕事ですので、新潟だろうが秋田だろうが青森だろうが問題ありません。

そしてこのFXでもっと利益を出せるようになれば新潟でのFXコミュニティをもっと盛り上げたいと思っています。

東京は人が多すぎます。FXもセミナーだったりなんだったりが多すぎるのです。
それはそれでいいですが、詐欺系も多いので面倒です。
でも地方はそうではありません。まだまだ困っている人が多いし力になれると思っています。

まあ引越しネタはまた書くとして、いずれにしても昨日のトレードは本当に幸運だったのと父に守られた事は間違いないと思います。
きっと何かのご褒美だったのでしょうね。

そんなわけで、今日は放心状態だったのでノートレでした。
昨日のお祝いにみんなで寿司を食べに行って普通に仕事をして過ごしました。

今週は強制ロスカットの心配もなくゆっくり週末を迎えようと思います。
そして月曜からは本口座でのトレードを再開するつもりです。

しっかりとまた1枚から5万円からスタートします。
もう逆張りトレードはやるつもりもありません。
しっかりと順張りでルール通りにやっていきたいと思っています。

父ちゃんに感謝しながら、今日はゆっくり休みたいと思います。
父ちゃん本当にありがとう!

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